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段々畑が桑の葉で緑に染まっている。まもなく葉っぱの摘み取りが始まる。餌にして育てる蚕(かいこ)の幼虫がやって来るからだ。

 冬は雪景色に変わる養父市大屋町蔵垣地区。養蚕は山あいでの数少ない現金収入だった。約20年前まで手がけていた上垣コズエさん(78)が、当時の暮らしぶりを教えてくれた。「所狭しと蚕の棚が置かれ、桑の葉を食べ出すと『ザー、ザー』と、雨音に似た音が家中に響いた」

 コズエさんで途絶えた養蚕だったが、過疎と高齢化が進む地域の再生の願いを込めて復活した。住民たちがグループを結成し、餌の桑の木を植えることから始めた。「農薬が付着していると、食べた蚕は全滅してしまう。細心の注意が欠かせない」。桑畑の草刈りに精を出す上垣忠雄さん(72)はつぶやいた。シカに食べられたら元も子もない、と囲いも厳重だ。

 体長2ミリ、黒っぽい1万匹の蚕の幼虫は20日ごろに到着する。忠雄さんの自宅で石油ストーブをたいて26度の室温を保ちながら、1週間ほど育てたあと、かいこの里交流施設にある飼育場に移す。

 60歳で定年退職してから養蚕を始めた忠雄さんにとって、「たーちゃん(忠雄さん)、上手だよ」と励ましてくれるコズエさんの指導は何よりも心強い。蚕は希望する小学校に今月末からプレゼントする予定で、飼育を子どもたちに引き継いでもらう。例年、大阪からも希望が寄せられるという。

 仲間の一人で、元小学校長の田村重信さん(69)は、子どものころ、山の桑畑の草刈りが日課だった。段々畑に復活した桑畑をみるたび、生きるために桑畑の開墾に総力を挙げた昔の人たちのことが思い浮かぶという。

 蔵垣地区は、江戸時代に但馬に養蚕を広めた上垣守国の生誕地とされる。研究の集大成として1802年に残した「養蚕秘録」(全3巻)は江戸時代の養蚕の代表書とされ、家の構造について、湿気と暑さ対策のため「換気の風穴を開ける」などと指導している。 asahi.comより出典。

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